Find.もじこうの人 vol.6
左:松永さん 右:村口さん

場所:松永文庫

海峡の港町「門司港」。
この地に特別な魅力を感じ、この地を愛して止まない人たちがいます。
そんな町の人同士に出会っていただきました...

村口 初めまして。村口綾と申します。高校を卒業するまで門司の大里で過ごしました。京都の大学に進学後は関西で就職し、3年前に実家へ戻ってきました。門司港は高校生の頃から大好きな場所で、よく考え事をする時に一人で和布刈の海を眺めに来たり、清滝・栄町などの路地裏を散策しては写真を撮っていました。
同級生からは変わってると思われていたかも知れませんね(笑)。今はお休みの晴れた日に門司港駅近くの海沿いで仲間たちとアコーディオンを弾いたり、時々イベントにも出演させていただいています。

松永 何!へえ〜、そうですかあ。僕は体が弱かったので学校に行けない日なんかは家でクラシックギターを練習していました。それが高じてギターを教えてたりもしました。当時、栄町銀天街のショーウィンドウに飾られていたアコーディオンは憧れの楽器だったんですよ。

村口 そうなんですね!

松永 私はね、門司の小森江で生まれたの。小森江という街は非常に栄えた街でしてね。神戸製鋼、日本製粉、大里製糖(現・関門製糖)、ニッカウヰスキーなどがあって、付随する町工場もたくさんあったんです。戦時中は軍事必需品を作る工場もあって、当時は兵隊さんのためのものだったんです。私の祖母はそこらで色街のお店を持っていましてね。小さい頃はそのお姉さん達によく映画に連れて行ってもらったんです。

村口 その頃から映画に興味がおありだったんですか?

松永 小さかったからね。映画のことはよくわからなかったけど、映画の後に必ずなんでも好きなものをご馳走してくれたんですよ。それが楽しみでねえ(笑)。ただ、大人達は映画の話で持ちきりで、大人がこんなに夢中になる映画ってすごいなあとも思ってました。当時は映画館もたくさんあって、どこに行ってもポスターが貼られていて、街中が映画一色でしたからね。そんな中で少しずつ興味を持ち始めて、銭湯のおばちゃんなんかにポスターをねだったりして色々なものを集めました。

村口 その時からのコレクションなんですね。すごい。

松永 小森江には4年生までいました。それから疎開で、おじいちゃんが工場長をやっていた大きな造船所のある門司港の田野浦へ移ることになりました。父は今の国交省海事局の試験官としてここ(旧大連航路上屋)で働いていたので、時々お使いで来ることがあったんです。こっそり中をのぞいてみたらアメリカ人がジープをいじったりしていて、かっこいいなあとも思いました。戦後、ここはアメリカ軍に接収された場所で、日本人は立ち入れなかったんです。朝鮮戦争の時には軍事品をここから運んだりもしていたんですよ。旧大連航路上屋は非常に戦争にゆかりのある建物なんです。
ここをイベントや休憩所にするのもいいんですが、もっと伝えなければいけないことがある。そういうことを語り継ぐ人がいない。だから私はここで映画と共に門司港の戦争の記憶を伝えていこうと思っています。
書ききれないでしょ?この紙面じゃ。僕はこの企画には向かないと思うなあ。いろいろな意味でね(笑)。

松永 武さん
松永文庫 室長
19歳で映画監督を目指して京都へ。その後、海運関係の仕事に従事しながら、映画研究のため資料の収集を始める。現在、松永文庫室長として北九州市の映画、芸能文化の発展に精力的に寄与している。
2016年5月には、第25回日本映画批評家大賞特別賞を受賞。

村口 綾さん
高校卒業後、京都の大学に進学し地理学を専攻。卒論は門司港をテーマとした「歴史的建造物と景観保存の研究」。
関西での就職を経て、2015年に帰郷。門司港でのイベントなどで音楽活動を行っている。

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