Find.もじこうの人 vol.3
左:大神さん 右:和田さん

場所:甲宗八幡宮 能舞台

海峡の港町「門司港」。
この地に特別な魅力を感じ、この地を愛して止まない人たちがいます。
そんな町の人同士に出会っていただきました...

大神 お会いするのは初めましてなんですが、実は和田さんの所にお花を2度お願いしたことがあります。とても存在感のあるお店ですよね。いつも素晴らしいお仕事ぶりで、またお願いしようと思ってしまいます。

和田 そうなんですね。ありがとうございます。 僕は娘の保育園の行事でこちらに伺ったことがありまして、ちょうどこの能舞台の上で娘が太鼓をたたかせてもらったんです。能舞台の上で演技をさせていただいているのを見て、こういう神聖な場所を提供できるって、すごいなあとびっくりしたのを覚えています。神社を神聖な場所というよりは、ひとつのコミュニティの場として解放されているのかなと思ったんですよね。

大神 おっしゃる通りで、神社は本来公民館のような役割を果たすコミュニティの場でもあったんです。現在はそのように使われることは少ないですが、今後は神社が再びその役割を果たせればいいなと思っています。ですので、町の催しや行事などのお話をいただいた時はできるだけご協力させていただいています。

――お二人とも門司港で生まれ育っていますが、町の記憶について教えてください。

和田 僕が子どもの頃は、まだ百貨店の山城屋もあって、栄町銀天街も賑わっていて、町としての機能が備わった普通の町でしたね。銀天街にはモスバーガーとかもありました。

大神 そういえば、ありましたねー。子どもの頃は、なんでもここら辺で事足りていて、小倉へは映画を見に行くくらいでしたよね。

和田 今はそういった町の機能が抜け落ちているんですけど、でもそれが門司港らしさを生み出していて好きなんです。 僕、7歳と4歳の子どもがいるんですけど、例えば保育園の待機児童はいないですし、おじいちゃんおばあちゃんも割と近くにいて可愛がってもらえるし、僕ら世代にとってはこの町がちょうど良いんです。 町に必要な機能って人それぞれ違うと思うんですけど、僕は全ての機能が町に揃っている必要はないと思っています。この町ならではの機能が形を変え未来に繋がっていけばいいですよね。3年前、店を出す時に色々調べたんですが、今の門司港の年齢人口比率は日本の20、30年後に近いそうで、極端に言えば20年後の日本がここにあるということなんですよね。

大神 20年後の日本がここにある... 。ぞくっとしますね。今この町で通用すれば、20年後もどこかでやっていけるいうことにも繋がるのかも知れませんね。

――お二人とも家業を継がれていますが、元々そのような気持ちをお持ちでしたか。

大神 私は次男でもともと後継ではなかったので、興味のあった異文化交流で何か仕事をできればと思っていました。外国の方と話すのが好きなのでツアーコンダクターや英語を勉強して教員免許を取れれば良いなと漠然と考えていましたが、兄が事故で他界し、急に神社を継ぐことになったんです。なので、大学を入り直して、神職の道を進みました。

和田 そうなんですねー。私も父が他界したことをきっかけに、母と姉がやっていた店に入ることになったんですが、もともと家業を継ごうという気負いは全くなかったんです。子どもの頃からお店の手伝いはしてましたし、花は好きでした。ただ、両親の姿を見ていて、大変そうだし、あまり継ぎたいという思いはなかったですね(笑)。 それで薬剤師になることを決めて大学へいって資格を取りました。でもやっぱり花を勉強してみたくて、師匠について教えていただいたら、どんどん花にのめり込んで行ったんですよね。なので、あまり継いだという感覚はないですね。

――最後に今後、門司港でやってみたいことがあれば教えてください。

和田 何か新しいイベントなどは考えられてますか?

大神 そうですね。 書物にここで昔行われていたことが記されているんですが、流鏑馬(やぶさめ)を復活させてみたいですね。 それと蹴鞠をやりたいです。ギラヴァンツさんの選手にお願いして ! (笑)

和田 それめちゃいいですねー(笑)

大神 後は、本当にここは歴史的にすばらしい場所がたくさんあるので、それを皆さんに知ってもらいたいですよね。

和田 僕は福岡を拠点に韓国や中国、フィリピンなどのアジアで仕事ができればなあと思っています。賞をとって東京へお店を出す方も多いのですが、全然考えてなくて。場所的にもちょうどよい福岡から世界に向いたいですね。

――お二人の仕事に対する柔軟な姿勢は、港町門司港の気質なのかもしれませんね。

大神良彦さん 門司港生まれ門司港育ち
高校を卒業後、大学進学のため門司港を離れ、神職の資格を取得後、24歳の時に帰郷。実家の甲宗八幡宮で神職に就く。29歳の時に父親が亡くなり、第46代宮司となる。2015年、過去の書物を参考に153年ぶりに清滝狂言を復活。現在は御成敗式目を参考に神社の在り方を日々模索している。

古い伝統を蘇らせる努力や現代における神社のあり方を模索する姿は門司港レトロのまちづくりに通じるものがあるような気がしました。

和田翔さん 門司港生まれ門司港育ち。
高校を卒業後、薬剤師を目指し大学へ。在学中にフラワーデザイナー磯部健司氏に出会い、師事。大学卒業後は薬剤師にはならず、帰郷し実家の東門司の花屋「和田生花店」を手伝う。2014年、栄町銀天街にフラワーショップnaturicaをオープン。2015年、フジテレビフラワーネット主催「日本花職杯」優勝。現在は小売をメインに結婚式場のフラワーデザインなどを手掛ける。

数少ない地元出身の若き三代目。夢は福岡からアジアへの進出。今後の更なるご活躍を期待しています。

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  • もじこうの人 vol.3
  • 場所:甲宗八幡宮 能舞台