宮本武蔵と佐々木小次郎が慶長17年(1612年)4月13日に決闘をした地「巌流島」
武蔵の死より9年後の1654(承応3)年武蔵の養子の宮本伊織が建てた武蔵顕彰碑があります。北九州地方第一の名碑と言われています。また、村上元三の小説「佐々木小次郎」の完成を記念して、1951(昭和26)年には佐々木小次郎の碑が建てられています。
門司港レトロエリアを少し離れ、一歩路地裏に足を踏み入れると、そこには、昔ながらの昭和の風情が残る景色が広がっています。まるで昭和の街にタイムスリップしたような感覚に落ち入ります。門司港には趣きのある路地裏がたくさんあり、現在でも当時の空気、面影をうかがい知ることができます。
かつて大陸貿易や大陸航路の客船などで栄えた門司港には、異国の文化がリアルタイムに入り込み、大正モダン・昭和モダンといったハイカラでおしゃれな文化が育まれていきました。東京で「今日は帝劇,明日は三越」の頃、門司港では「今日はマルセイユ,明日はロスへ」でした。その頃のモダンな香りや空気感は今でも感じることができます。
■清滝界隈
住所:福岡県北九州市門司区清滝
■錦町界隈
住所:福岡県北九州市門司区錦町
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清滝・錦町路地裏
清滝・錦町路地裏
錦町路地裏
門司港・清滝には、現在でも料亭が何軒か存在していますが、最盛期の大正から昭和にかけては、10軒以上もの料亭が清滝には林立していました。旅館も多数あり、高松宮殿下が定宿としていた「三笠」もそのうちの一つでした。また、芸伎衆もおよそ200人、置屋も20軒以上あったと言われており、当時の華やかな風情が想像できます。ここ、清滝では今もその趣きを感じることができ、三宜楼・旧料亭醍醐・料亭大和などの古びた料亭・旅館の跡が路地裏には多数残っています。
三宜楼(清滝路地裏)
三宜楼(清滝路地裏)
錦町には戦後流行った新町遊郭、いわゆる赤線跡があり、モザイクタイルのカフェー調の建物、町家風の建物、木造3階建ての重厚な和風建築の建物などを見ることができます。当時の花街の豪華な風情が想像できます。また、錦町の周辺には置屋も数多くあったそうで、現在の錦町公民館は芸者の取り次ぎや送迎・玉代の精算をした検番跡として有名です、芸妓たちはここで日々稽古をし芸を磨いていました。また、この錦町界隈は映画やドラマのロケーションで頻繁に使われている場所の一つでもあります。
錦町路地裏
錦町路地裏
錦町路地裏
清滝・錦町散策マップ→地図(PDF)